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2009-10/レポート11
(取材)

防災講演会「地域防災の勘所〜多様な視点をもって先例に学びましょう」(下)
  大矢根 淳 専修大学 人間科学部 社会学科 教授

         (ご講演時のご所属は、専修大学 文学部 人文学科 社会学 専攻)
(防災功労者功労団体表彰式を含め3月14日13時00分〜15時00分)

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◆「多様な視点をもって」とは… 

 −たとえば、地域防災の現場における「危険」と「資源」へのまなざし

 もう少し具体的に「多様な視点をもって」ということを、地域での防災活動にひきつけて考えてみたいと思います。
私たちも大学の地元の町会の方々と防災マップづくりや避難訓練を企画するなど、いろいろ考えてやっていますが、たとえばここに2つくらい掲げておきました。

 防災というのを考える時に、何が危ないんだろうかということをよく考えます。災いが起きる、何か大変なことが起きる。それをどうにか救いたいと思うわけですが、ということはどこが弱いんだろうか、何が大変なんだろうかというふうに、我々は現場をみて考えるわけです。つまり、地域防災の現場で危険というものを一生懸命把握しようとします。
 言い古されたことですけれども、そこで我々は地域防災を考える時に、もう1つのサングラスが必要だろうということです。「危険」を見るサングラスとあわせて、こちら側から防災の「資源」としてそれを加えようとするサングラスをもってきて、2枚重ねて地域を見ようという話です。ですから地域を見るときに、危険と資源という二つの両面で見ていく。

 それはどういうことかというと、よく言われるのは、「災害弱者」という表現です。最近ではこういう言い方をしなくなって、「災害時要援護者」と言い換えるんですけれども、地域で防災を考える時に、何か被害を受けてしまう人たちです。何らかの形で想像して災いを防ぐ、あるいはお助けをする、そういう視点で考える。そこには、弱者へのまなざしという重要な基本的なまなざしがまさに存在します。そして、次の段階として、潜在的な弱者へのまなざしというものが存在します。

 これはもう今から30年も前に国もかかわる防災の考え方の基本となって、あまねくいろいろなところで言われていますから皆さんも聞いたことがあるでしょう。たとえば目が見えない、耳がきこえない、足が不自由等の障がいを持った方。それに該当する人たくさんいますよね。
 たとえば外国人はどうですか。彼らは日本語で指示されてもわからないですよね。聞こえないのと一緒でしょう、と。そういった事例、考え方がごくごく当たり前になってきた。つまり潜在的弱者というものをそれだけ幅広く、奥深く考えてその人たちを、危ない、危険をかかえている人だとみるということです。
 そういう人たちが、貴重な資源を持っているとする見方も必要になってくるということです。実は障がいというのは、危険な状況下に置かれているということだけを考えるのではなくて、かけがえのない個性というふうに考えてみます。これは、特に阪神淡路以降、普及してきた基本的な考え方です。

 たとえば、目の見えない方。目の見えない方が真っ暗のなかで、どういうふうに認識して判断して行動するかということ。あるいはパニック障害。一般的な生活を送る健常者がある状況で非常に混乱してしまって、ふつうに認識、認知行動ができなくなってしまったとき、どうやってその状態のなかから、平静を取り戻していくようになるか。パニック障害を抱える方達は日頃どういった努力、工夫、日常生活をしているか。先の例の目の不自由な方の場合は、たとえば真っ暗闇で見えない中で状況を確認してコミュニケーションをとり、どう行動するべきか−そういう場面で大変貴重なアドバイスをくれます。

 このように、障がいというのは、かけがえのない個性と考えます。特に、阪神・淡路大震災以降、非常に普及しました。ところが、少し注意をしなくてはならないのは、だからといって障がいをもっている方々は強いのだから大丈夫というそっち側の見方をしてはいけないということです。
防災を考えるときに「非常に重要な示唆を与えてくれる方々」ということで、常日頃そういう方々とコミュニケーションをとって、お互いが勉強する。そうすると、いつもコミュニケーションをとっていますから、どういう状況にある誰々さんと、お互いにどういうふうに認識して関わっていけばよいかがわかってきます。これは地域防災の勘所の1つでもあると思います。

 そうすると、実はその状況を認知できない人たち、あるいはかすかに認知していてもそれに対応したり、行動に結び付けていけない人たち…。先ほど外国人や旅行者の事例を挙げましたが、たとえば日ごろの問題として、電車のなかでシルバーシートに座る若者ってなんなんだ、という問題が出てくるわけです。潜在的な弱者です。それ以上の彼らに対する捉え方や対処の仕方は別次元のことになりますので今日は触れませんけれども、実はそのことをさらに突き詰めて考えていくと、自分自身の近未来的な生活課題というものを、どれだけ自分を障がいが持っている状態として把握することができるか、ということにつながります。そうすると今日、自分の生活、自分の考え方、振る舞いに修正が加わってくるわけですね。自身の近未来的生活課題に対して、自身の取り組みをしていく。我々が子供のころからよくいった日々達成しなさいということ、これをふつうに地域の防災、あるいは子育て、地域の活動、そういうところに広げてみるだけの話です。
 考えてみれば、当たり前のことです。これが地域防災の勘所、スタート地点とはそういうところかな、と思います。

◆「先例に学ぶ」とは…

 もう1つ、サブタイトルで触れた先例に学ぶということを具体的な例を出してお話をしたいと思います。

 地域の防災を考える時に、自分たちの地域のなかにある危険やかけがえのない資源という、どれだけ自分の感覚でつかみ取ってこれるか、これが重要だとお話ししました。あわせて自分たちの土俵、地域のなかではありえない、いままでなかった貴重な経験を学んでくるということも、地域の学習という意味では重要なことだと思います。

 −何が話されているでしょう?

大矢根先生  これは、2004年11月11日に掲載された某新聞の写真です。中越地震のあと、被害が大きかったことから話題になった山古志村の長島村長さんの所に、東京の三宅村の平野村長さんが訪れて話をしているところです。三宅村の村長さんが山古志村の村長さんのところにお見舞いに来て、そこを取材している。面白いことにお二人が話している向こう側に他新聞社の記者が写真を撮っています。2人がここで何を話しているか、想像してみてください。
 某新聞の記者がどう書いたかといいますと、三宅村の村長さんが「必ず帰る信念を」「がんばってください」と山古志村民を励ます会談の場面として写真を撮って記事、タイトルを付けています。

 では、本当にそうなのかということなんですね。実はこのお二人の話した内容はそんな内容ではないんです。ですが先入観で、首長さん同士が話をしている、被災地同士。そんなふうに考えてしまうんですが、被災地の首長さん同士だからこその話で、感情的な話をしたのではないんですね。
 励ましではなく、こういう現場を取り仕切る首長さんの覚悟−それはどこまで踏み込んでやるかということです。より具体的に、踏み込む内容は被災した現場、ふるさとを捨てなくてはいけない移住の覚悟。過疎、高齢の地で再建が難しい現場。そこで移住をして新しいところで生活する、地域を建て直す、そのための舵取りの問題、このことが具体的に話されていたんですね。
したがって中越地震には、同じ原因、地震だからといって、阪神・淡路大震災の地震の経験よりも自分の集落を捨てなくてはいけない、過疎、高齢者地域の再建の問題は、三宅島の経験のほうがしっくりくるということで、この2人が会談をしていたわけなんです。
  集団移転の問題−具体的にいうと、集落を新しく作っていくための公共事業をどういうふうに自分たちが選択的に導入していくかという作戦。それを被災者レベルで考えていく生活再建の極意とノウハウ。そういうことが一項目ずつ、事細かに伝えられました。

 このように、三宅島から山古志村にそういう具体的な重要なことが伝えられているんですね。そのことを、たとえば東京、大阪、阪神、そういう都市で生活している我々は一切知らない。なぜかというと新聞には「励ましの会談があった」としか伝えられてないからです。実際には違う内容が伝えられていたということが報道されていません。そういうことがこの10年から30年くらい、被災地同士で、次から次へと伝えられてきました。

◆被災地「間」で語り伝えられていること

 −たとえば、有珠山噴火(1977)から雲仙(1991)を経て、有珠山(2000)、三宅(2000)、そして中越(2004)に伝えられていること

 たとえばこういうことです。1977年に北海道有珠山が噴火しました。そのとき、虻田町の岡村さんという村長さんが、はちまきをして懐刀をしのばせて、霞ヶ関に行きました。自分たちの集団移転をするという覚悟を示しに行きました。国の補助をきちっとやってくれと。規定ではできないんですね。住民全体の半分くらいしか集団移転したいと希望していなかった観光地です。その当時、9割ないし全数が合意しないと集団移転は許されませんでした。しかし彼は半数同意をどうにか取り付けて、このタイミングで集団移転したいと頼みに行きました。
  官僚は「駄目です」、と。村長は「ではこの場で腹を切ってお前達の前で死ぬぞ」、と凄みました。集団移転のための戸数の規定が、その瞬間に変えられました。それ以降、半数の合意があればいいことに変わったのです。

 そういう具体的な戦略を有珠の人たちが経験してやり遂げたことを、それから十数年たって雲仙が噴火して、ひげの島原市長、鏡ケ江さんのところに岡村町長が伝えに行きました。きちっと覚悟を決めてメニューを整えて、実現のための戦略を考えなさいということを教えにいったんですね。
 雲仙でも、独自のことをいろいろと取組んできました。そのノウハウが、2000年に有珠山が噴火、同じ年に三宅島も噴火したんですが、雲仙の経験が再び北海道と東京に伝えられました。
 2000年の2つの噴火で、独自に取組んできたその内容が、また2004年の中越に伝えられました。

 では、具体的にはそこで何が伝えられたのか。1つだけトピックをあげると、「みんなで保険金をもらえるようにしよう」ということでした。
今日、その資料をもって来ましたが、2000年の8月に「雲仙・普賢岳 噴火災害を体験して」という本が作られています。雲仙の人たちが1991年噴火の経験を10年かけてまとめたものを、2000年の有珠、三宅に際してお届けしたんですね。

 どんなことが書いてあるか。
 火砕流、土石流で「『自宅が流される』そう思ったとき、真っ先に頭に浮かんだのは、住宅の再建費用のことでした...そんな中、この年の11月4日、警戒区域の規制が大幅に緩和され、避難勧告地域になりました。『警戒区域では保険に加入できないが勧告地域なら保険に入れる。』住民はこぞって保険に入りました。このとき入いった保険が、住宅再建の際の大きな原資になりました。」この本の93ページに書いてあります。
 ただそれだけの記述ですが、これも我々東京に住んでいて、あるいは阪神に住んでいて読むと、あぁそういうことがあったんだな、と思うわけです。しかし被災者が読んだらどういうふうに読み取れるか。端的にいえば雲仙の人たち−私たちは、保険金、義援金、復興基金の助成金、自分の土地を売却したお金、これをあわせて4,5千万円のお金として住宅の再建を果たせました、と。
 実は、その4〜5千万円の内訳をみてみると、そのほとんどは保険金なんですね。阪神・淡路大震災のときには、雲仙の人たちは、義援金がたくさん入ったというふうに、ことさら取りあげられました。雲仙の人はずるい、あるいはラッキーなんていう人までいました。しかし実は義援金で家は建つわけではない。家を建てるために彼らは保険金を使ったというわけです。

 どういうことか。火山が噴火して危ないからそこにいてはいけません、立入を制限されている警戒区域に入ると逮捕されます。現に多くの人が逮捕されました。自分の家に貯金通帳をとりに行って、また自宅の家畜が心配と言って入っては、多くの人が警察に逮捕されました。そういう警戒区域が設定されました。
 そこで、この警戒区域をある一定時間だけ解除しようと。誰が解除するか。首長が解除するわけですね。でも首長さん、島原市の市長というのは火山専門家ではありませんから、解除した何時間、何日間に噴火がないとは言えないわけです。そこで火山の専門家に来てもらって、相談して何月何日の何時から何時までは噴火がおそらく起きないであろうというデータをきちっと分析して、その数時間だけ避難勧告区域というところに、エリアを1ランクさげて設定するわけですね。そうすると、みな家に戻れるわけです。戻れるということは、そこで生活をしているということ。そのエリアの一軒一軒の家は、火災保険、火災保険特約の地震保険に論理的には加入できるわけです。

 そうやって、そこまでお膳立てをして、地域の住民ら、防災組織はなにをやるか。避難勧告地域になったのだから、保険に入りたい。 どこか面倒みてくれる保険会社はないですか、損保は、と回っていきました。
有名な保険会社は全部「冗談じゃない」「がん患者が一時退院したからといってなんでがん保険に入れるんですか」、と話します。その時、一社だけ全部引き受けますよ、と言った保険会社がいました。それは農協だったんですね。JAというふうに名前を変えて、地域の統合をやっていて、その当時日本で何番目という金融会社に成長していました。共済という思想を看板にして、全員の申し出を受け入れ、加入できました。
 みな家から戻り再び警戒区域になって、数日、数週間後、何回かの土石流、火砕流で家が流されていったわけですけれども、現場にいて雨が降るたび、土石流があるたび、皆が肩をたたきあって喜んでいるんです。1週間前には、双眼鏡をみながら涙を流していました。家畜が今日も死んだ、家が流されるかもしれないと。この後には、「お前のところは流されたか」と非常に快活に話ができるようになりました。こんなふうな復興の極意というものが被災地同士で伝えられていく。そういうことです。

◆地域防災の勘所:「防災を宣伝しない」

 −土手の花見と歳末大掃除ボランティア

 いま地域防災では、日本全国さまざまな地域で様々な条件と地域の防災活動がありますので、東京に住んでいる我々とは違う認識や条件等で行われている防災活動を、とにかく貪欲に学ぶことによって、次のヒントが見えてくるといったことがあります。100パーセント当たりという防災活動は、なかなかないんだと思います。むしろ、そういった幅広く奥深い防災学習のなかから次の光が見えてくるのではないかと考えています。

 地域防災の勘所ということで、防災、最近では減災という言葉をよく内閣府が使っていますが、あんまりこの防災、減災を声高に使わないでやってみようではないかといった話があります。「防災、防災」というと、特に各地で世界中で被害が起きているから「何か脅しをかけられているような感じがする」「もういいよ、防災は」というふうに地元、町会の人たち、一般の人たちがおっしゃるかもしれません。

 では、どうしたらよいのでしょうか。
 日常生活の課題のなかに、防災的機能を見出す努力というのをしてみましょう。防災と言わないで、さまざまな日常の生活対応、これを充実させることによって、結果的に防災に役立つようなことをやってみようと。
 これは関東では「結果防災」、関西では「生活防災」と呼んでいます。日常生活のなかに、防災的機能を見出してみようということです。

 たとえば、日本では300年以上続いている土手の花見というものです。
 雪どけがあって河川、水が増えてきて春になって桜が咲きます。江戸時代ですから、その頃、農民の多くはお米を作っています。地元の領主さんが、「お花見をやるからみんな河川の堤防に集まってくれ。桜が植わっている、今日は無礼講だ」と料理を振舞う。「今日は楽しんでくれ」と。
 これにどういう意味があるか。農民にしてみると、年に一回領主さんから飲食が振舞われるという喜び。日ごろの年中行事−花見です。ところが領主さんにしてみると、堤防の踏み固めをその時期にやるということなんですね。堤防を固める。雪どけ水でゆるんできている。そのあと6月になると梅雨がやってくる。ですから4月、5月、この時期に堤防を補強するために人足を借り上げる、招集するとみんなから不満がでてくるので、若干の料理、酒を用意して花見をやろうじゃないか、これによって土手が踏み固められるということです。
地域の年中行事、堤防を踏み固めるという公共事業の大切さ、そういうことがうまくマッチしたやり方になっています。
 たとえばこうした土手の花見というような考え方。これは江戸時代から行われてきて、いまだに大きな河川では行われている事柄ですが、こんなふうに地域の防災を防災といわないメニューで実現していこうというわけです。

 問題のパターンが一緒で、内容が違いますけれども、たとえば歳末大掃除ボランティアがあります。
 日常的に行われている台東区では、暮れになって一人暮らしの老人のお宅に、床を拭いたり重いものを動かす重労働が大変ですね、とボランティアが歳末大掃除に行きます。目的は当然掃除です。そのときあわせて、たとえば食器棚を大きなお皿、小さなお皿を少し並び替えるとか、扉を閉めて取っ手のところに輪ゴムをかませて、「いざというとき飛び出してきませんよ」とか、タンスとか食器棚の上の部分につっかえ棒をかませるとか、家具転倒防止のつっかえ棒はコストが高いので、ちょっとしたダンボールを棚の上にかませておくとか、そういう状況のなかでできる防災的なメニューを含めて歳末大掃除のプランをやっています。
 おばあちゃん、おじいちゃんがどこに、一人でどういう生活をしているか、防災福祉コミュニティの活動をやっているボランティア、社会福祉協議会、民生委員の人たちが、この大掃除のボランティアを利用して、地域の防災、高齢者の一人暮らしのお宅の家具転倒防止とをあわせて、そしていざというときの救出・救護の名簿作りまでやれるか、あるいはやるべきかどうかを慎重にじっくり検討しながら、生活防災、結果防災としてメニューをつくりながら、工夫しながらやっています。

 これは都内の事例ですけれど、こういうさまざまな地域防災に関係する取り組みを100パーセント、1対1でする、取り入れることは不可能かもしれないけれど、いろいろアンテナを張っておいて学んでおけば自分たちにとって使える、役に立つ事例が見出されてくるかもしれません。
 幅広く、その結果防災、生活防災を考えていってはどうかという提案です。

 こういうようなことを具体的に考えていく本は少しずつ出てきています。参考文献としては東京ボランティア・市民活動センター「市民主体の危機管理」(筒井書房)、大矢根淳他編「災害社会学入門」、「復興コミュニティ論入門」、「災害危機管理論入門」(弘文堂)、ホームページ「婦人防火クラブ リーダーマニュアル」があります。特に「婦人防火クラブ リーダーマニュアル」は検索エンジンにかけると、本2冊分が全部ただで見られるようになっていますので、興味のある方はご覧になってみてください。

編 集
秋山 真理(ねりま減災どっとこむ)

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