2009-10/レポート11 (取材) |
防災講演会「地域防災の勘所〜多様な視点をもって先例に学びましょう」(下) |
◆「多様な視点をもって」とは… −たとえば、地域防災の現場における「危険」と「資源」へのまなざし もう少し具体的に「多様な視点をもって」ということを、地域での防災活動にひきつけて考えてみたいと思います。 防災というのを考える時に、何が危ないんだろうかということをよく考えます。災いが起きる、何か大変なことが起きる。それをどうにか救いたいと思うわけですが、ということはどこが弱いんだろうか、何が大変なんだろうかというふうに、我々は現場をみて考えるわけです。つまり、地域防災の現場で危険というものを一生懸命把握しようとします。 それはどういうことかというと、よく言われるのは、「災害弱者」という表現です。最近ではこういう言い方をしなくなって、「災害時要援護者」と言い換えるんですけれども、地域で防災を考える時に、何か被害を受けてしまう人たちです。何らかの形で想像して災いを防ぐ、あるいはお助けをする、そういう視点で考える。そこには、弱者へのまなざしという重要な基本的なまなざしがまさに存在します。そして、次の段階として、潜在的な弱者へのまなざしというものが存在します。 これはもう今から30年も前に国もかかわる防災の考え方の基本となって、あまねくいろいろなところで言われていますから皆さんも聞いたことがあるでしょう。たとえば目が見えない、耳がきこえない、足が不自由等の障がいを持った方。それに該当する人たくさんいますよね。 たとえば、目の見えない方。目の見えない方が真っ暗のなかで、どういうふうに認識して判断して行動するかということ。あるいはパニック障害。一般的な生活を送る健常者がある状況で非常に混乱してしまって、ふつうに認識、認知行動ができなくなってしまったとき、どうやってその状態のなかから、平静を取り戻していくようになるか。パニック障害を抱える方達は日頃どういった努力、工夫、日常生活をしているか。先の例の目の不自由な方の場合は、たとえば真っ暗闇で見えない中で状況を確認してコミュニケーションをとり、どう行動するべきか−そういう場面で大変貴重なアドバイスをくれます。 このように、障がいというのは、かけがえのない個性と考えます。特に、阪神・淡路大震災以降、非常に普及しました。ところが、少し注意をしなくてはならないのは、だからといって障がいをもっている方々は強いのだから大丈夫というそっち側の見方をしてはいけないということです。 そうすると、実はその状況を認知できない人たち、あるいはかすかに認知していてもそれに対応したり、行動に結び付けていけない人たち…。先ほど外国人や旅行者の事例を挙げましたが、たとえば日ごろの問題として、電車のなかでシルバーシートに座る若者ってなんなんだ、という問題が出てくるわけです。潜在的な弱者です。それ以上の彼らに対する捉え方や対処の仕方は別次元のことになりますので今日は触れませんけれども、実はそのことをさらに突き詰めて考えていくと、自分自身の近未来的な生活課題というものを、どれだけ自分を障がいが持っている状態として把握することができるか、ということにつながります。そうすると今日、自分の生活、自分の考え方、振る舞いに修正が加わってくるわけですね。自身の近未来的生活課題に対して、自身の取り組みをしていく。我々が子供のころからよくいった日々達成しなさいということ、これをふつうに地域の防災、あるいは子育て、地域の活動、そういうところに広げてみるだけの話です。 ◆「先例に学ぶ」とは… もう1つ、サブタイトルで触れた先例に学ぶということを具体的な例を出してお話をしたいと思います。 地域の防災を考える時に、自分たちの地域のなかにある危険やかけがえのない資源という、どれだけ自分の感覚でつかみ取ってこれるか、これが重要だとお話ししました。あわせて自分たちの土俵、地域のなかではありえない、いままでなかった貴重な経験を学んでくるということも、地域の学習という意味では重要なことだと思います。 −何が話されているでしょう?
これは、2004年11月11日に掲載された某新聞の写真です。中越地震のあと、被害が大きかったことから話題になった山古志村の長島村長さんの所に、東京の三宅村の平野村長さんが訪れて話をしているところです。三宅村の村長さんが山古志村の村長さんのところにお見舞いに来て、そこを取材している。面白いことにお二人が話している向こう側に他新聞社の記者が写真を撮っています。2人がここで何を話しているか、想像してみてください。 では、本当にそうなのかということなんですね。実はこのお二人の話した内容はそんな内容ではないんです。ですが先入観で、首長さん同士が話をしている、被災地同士。そんなふうに考えてしまうんですが、被災地の首長さん同士だからこその話で、感情的な話をしたのではないんですね。 このように、三宅島から山古志村にそういう具体的な重要なことが伝えられているんですね。そのことを、たとえば東京、大阪、阪神、そういう都市で生活している我々は一切知らない。なぜかというと新聞には「励ましの会談があった」としか伝えられてないからです。実際には違う内容が伝えられていたということが報道されていません。そういうことがこの10年から30年くらい、被災地同士で、次から次へと伝えられてきました。 ◆被災地「間」で語り伝えられていること −たとえば、有珠山噴火(1977)から雲仙(1991)を経て、有珠山(2000)、三宅(2000)、そして中越(2004)に伝えられていること たとえばこういうことです。1977年に北海道有珠山が噴火しました。そのとき、虻田町の岡村さんという村長さんが、はちまきをして懐刀をしのばせて、霞ヶ関に行きました。自分たちの集団移転をするという覚悟を示しに行きました。国の補助をきちっとやってくれと。規定ではできないんですね。住民全体の半分くらいしか集団移転したいと希望していなかった観光地です。その当時、9割ないし全数が合意しないと集団移転は許されませんでした。しかし彼は半数同意をどうにか取り付けて、このタイミングで集団移転したいと頼みに行きました。 そういう具体的な戦略を有珠の人たちが経験してやり遂げたことを、それから十数年たって雲仙が噴火して、ひげの島原市長、鏡ケ江さんのところに岡村町長が伝えに行きました。きちっと覚悟を決めてメニューを整えて、実現のための戦略を考えなさいということを教えにいったんですね。 では、具体的にはそこで何が伝えられたのか。1つだけトピックをあげると、「みんなで保険金をもらえるようにしよう」ということでした。 どんなことが書いてあるか。 どういうことか。火山が噴火して危ないからそこにいてはいけません、立入を制限されている警戒区域に入ると逮捕されます。現に多くの人が逮捕されました。自分の家に貯金通帳をとりに行って、また自宅の家畜が心配と言って入っては、多くの人が警察に逮捕されました。そういう警戒区域が設定されました。 そうやって、そこまでお膳立てをして、地域の住民ら、防災組織はなにをやるか。避難勧告地域になったのだから、保険に入りたい。 どこか面倒みてくれる保険会社はないですか、損保は、と回っていきました。 ◆地域防災の勘所:「防災を宣伝しない」 −土手の花見と歳末大掃除ボランティア いま地域防災では、日本全国さまざまな地域で様々な条件と地域の防災活動がありますので、東京に住んでいる我々とは違う認識や条件等で行われている防災活動を、とにかく貪欲に学ぶことによって、次のヒントが見えてくるといったことがあります。100パーセント当たりという防災活動は、なかなかないんだと思います。むしろ、そういった幅広く奥深い防災学習のなかから次の光が見えてくるのではないかと考えています。 地域防災の勘所ということで、防災、最近では減災という言葉をよく内閣府が使っていますが、あんまりこの防災、減災を声高に使わないでやってみようではないかといった話があります。「防災、防災」というと、特に各地で世界中で被害が起きているから「何か脅しをかけられているような感じがする」「もういいよ、防災は」というふうに地元、町会の人たち、一般の人たちがおっしゃるかもしれません。 では、どうしたらよいのでしょうか。 たとえば、日本では300年以上続いている土手の花見というものです。 問題のパターンが一緒で、内容が違いますけれども、たとえば歳末大掃除ボランティアがあります。 これは都内の事例ですけれど、こういうさまざまな地域防災に関係する取り組みを100パーセント、1対1でする、取り入れることは不可能かもしれないけれど、いろいろアンテナを張っておいて学んでおけば自分たちにとって使える、役に立つ事例が見出されてくるかもしれません。 こういうようなことを具体的に考えていく本は少しずつ出てきています。参考文献としては東京ボランティア・市民活動センター「市民主体の危機管理」(筒井書房)、大矢根淳他編「災害社会学入門」、「復興コミュニティ論入門」、「災害危機管理論入門」(弘文堂)、ホームページ「婦人防火クラブ リーダーマニュアル」があります。特に「婦人防火クラブ リーダーマニュアル」は検索エンジンにかけると、本2冊分が全部ただで見られるようになっていますので、興味のある方はご覧になってみてください。 |
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編 集 |
秋山 真理(ねりま減災どっとこむ) |
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