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2009-10/レポート11
(取材)

防災講演会「地域防災の勘所〜多様な視点をもって先例に学びましょう」(上)
  大矢根 淳 専修大学 人間科学部 社会学科 教授
         (ご講演時のご所属は、専修大学 文学部 人文学科 社会学 専攻)

(防災功労者功労団体表彰式を含め3月14日13時00分〜15時00分)

 2010年3月14日、練馬文化センターにおいて、防災功労者功労団体表彰式とともに、防災講演会が行われました。
  地域で地道に活動をされてきた防災功労者は91名、功労団体は8団体が表彰されました。
  (いつも地域での地道なご活動、ありがとうございます。<(_ _)> )

表彰式のようす

 その後の防災講演会では、大矢根淳 専修大学 教授 から貴重なお話をうかがうことができました。

(ご挨拶−省略)

◆「多様な視点をもって」とは

 多様な視点をもってということが最も重要です。

 この舞台の幕の裏に大きな文字で「火の用心」と書いてあります。これは何を意味するでしょうか。この空間にいる皆が同じようにその意味を共有できていません。
 1985年10月、東京で震度5強の地震がありました。東京でも相当揺れたため、歌舞伎座では観客がざわざわっとしたあと、役者が急に見栄を切って「皆さん、私のいうことを聞いてください」と注意を集めて、不安・不穏をおさめました。
 実は歌舞伎もそうですが舞台ではさまざまな演劇が行われます。舞台に立つということは、その舞台において全責任を負う、命をかけるということを素養として叩き込まれます。下北沢の小さな舞台でも最初に教え込まれます。
 幕の内側の「火の用心」も実はそのことで、この箱を仕切る人間としての素養、覚悟のようなものを戒めていいます。多様な視点をもって、ある出来事を裏側、逆側からみると、また1つ違うものが見えてきます。
  もし何か、いまここで地震があったら、私がコントロールしますので、安心していただきたいと思います。緊急時の人間行動の誘導の仕方も我々の研究の一環で少しは蓄積があります。

 地域の防災がことさら話題になって、それぞれの地域できちんと活動するようになった我々にとっての身近なスタート地点は、阪神・淡路大震災だったと思う方も多いと思います。
  基本的な単純なことを確認しておきたいと思いますが、「もう早くも、あの阪神・淡路大震災から15年がたちました」という言い方をします。これは、われわれの一般的な認識、素直に出てくる言葉だと思います。この言い方を少し変えてみたい。私は、今年最初に入ってきた、純粋に学びたい20歳前後の大学生に「今年は、阪神・淡路大震災から15年目の現実を学びましょう」といいます。地面が揺れて生命財産が失われて、そして翌年その翌年と年を重ねて15年目。実はこの瞬間も大変な被害が、目に見えない形で潜在化して進んでいるのです。そんなことをきちっと学びましょう、ということを言うのです。

講演の様子 阪神・淡路大震災15年目−いま何がおきているでしょうか。
 調べてみると、いろいろなことが起こっています。家が壊れて仕事がなくなって、どうにか生活を立て直した人たちの間に、リーマンショックの影響もあって、いま住宅ローンが払えなくなってホームレスになってしまう。あるいはもう少し前で言うと、税金の減免がなくなって、それこそ首をくくって亡くなった人もいます。
 ですから震災というのは、直後5500人余りの方が亡くなったというふうに言われていますが、日本の公的な記録でもそれ以降6年、7年の間に人が死んでいってるんですね。そして記録には6400人余りの数字が出ている。つまり震災以降1000人近くの人が様々な形で命を落としています。 それが翌年、また去年今年来年と新しい被害の形となって、今でも死んでいく。過去の出来事ではなく、現在進行形の出来事です。
 そういうような考え方もできるということで「早くも、あの阪神大震災から15年がたちました」ではなく、私たちは「阪神淡路大震災から15年目の現実」というふうに考えています。

 さて、「地域防災の勘所〜多様な視点をもって先例に学びましょう」。この多様な視点ということを、いくつかエピソードを交えて確認したいと思います。日ごろの長年にわたって地域防災を中心的な存在として、ずっと活動を続けてきた皆さんにはまさに釈迦に説法なのですが、そんな言い方、考え方、表現の仕方もあるんだということ、そういう感じで話してみたいと思います。

 3つほどあげてみました。

 1)防災マニュアル−マニュアルの機能しない状況を災害という

 防災マニュアル作ろう、工夫して作ってみようという話があります。とても大切なことです。そういうものを作りながら、取り組みながら、別の側面から防災マニュアルというものを、一つ斜に構えて眺める。そういう専門的視点というのも、自分の傍らに置いてみてください。

 それはどういうことかというと、防災マニュアルを作ろうというときに、非常に大きな落とし穴がどこにも存在しているということです。
 そもそも「マニュアルの機能しない状況を災害という」という定義があります。ですから防災マニュアルが出来ても災いが防げることはありえません。ところがマニュアルが冊子になって出来てくると、被害が出ないと勘違いしてしまう状況が、少しずつ生まれてきてしまいます。常にマニュアルが機能しない状況をみんなで確認して、マニュアルを修正していくという作業がたぶん必要になるんだと思います。

 また、我々の頭のなかにはたとえば大きな事故にあったとき、119番をして救急車を呼んでどうにか負傷者を搬送する、頭の中にそういうふうにプログラムされていて身についています。いまのマニュアルの捉え方を前提にすると、「119番をしても救急車は来ないという状況を災害」とそもそも想定しているんですね。もしも119番をして自分のところに救急車が来てくれたら、それは災害が起きてはいないんだと。自分の周りで自分を含む周辺で事故が起こっている。それに119番が応えてくれているというわけです。
 災害はその場所、その体制も含めて被災しているという、マニュアルが機能しないというのがその前提ですけれども、その機能しない状況をどれだけ具体的にイメージできるか。ここが重要なところです。

 2)(防災・減災)役割行動 スーパーマンは「いない」

 2点目。スーパーマンはいないということです。
 防災マニュアルもそうですが、そこに登場する人、地域防災の主役−地域防災活動をしている我々が被災している状況をたぶん災害というわけですから、地域防災活動、たとえば初期消火をする、救出救護の役割を担う人々が被災している、なんらかの怪我をしている、そういう状況を災害と言います。

 そうすると地域防災組織がたちあがって動き出すのに、少なくとも3日はかかるとか、そういう具体的な想定を考えていかなければいけません。
 ところが地域防災の仕組みを考えると、我々はスーパーマンです。真っ先に行き、活動できるというイメージを自分のなかにもっている。そこをどうやって、現実的な活動の展開というものと結びつけていくか。こんなことも日ごろ考えておかないといけないだろうなということです。

 3)起震車(室)体験の勘違い? −あの部屋は震災ではなく「地震の一部」を再現したもの

練馬区で使われている起震車 3点目。もう少しわかりやすい現実的な話です。起震車(写真は参考=区が訓練で使っている起震車)、起震室の体験というものです。
 神奈川県に防災センターが設置されていて、毎年100人あまりの学生、18歳くらいの学生にいろいろな体験をさせています。そのなかに起震室の体験があります。3人ずつがグループになって、控えの間があって順番に入って行き、オペレータの方が「次に阪神淡路大震災の揺れをやりますよ」とやります。皆何をやれと言われていて、そのとおりにできないのを、別室で待っている皆が笑いながら見ている。でもいざ自分の番になるとできないんですね。

 起震室で次の3つのことをやれというふうに、いわれています。
 1つ目は身の安全、机の下に隠れて頭を隠せというものですね。2つ目は火の始末、3つ目は出口の確保です。ところが揺れてしまうとできないわけですね。3人いる。実はその3人は順に前の3組を見ていて、綿密に打ち合わせをしているわけです。自分はあそこに座る、お前はここ、お前はこちら、左手をのばす…。ところが、それができないわけです。
 ここまで考えてマニュアルにのっとって、それもうまくできないことも想定して考えてやっているのに、まったくできない。これはどういうことだろうと真剣に学生は悩むわけです。一通り100人が体験し終わったあと、オペレーターの方を招いて反省会をやります。
 そこで、社会科学的な災害の研究、現場活動の一環として注目してみましょう、といくつか話すわけです。

 まず単純なこと。3つのことをやりなさいといわれました。3人で話をして、いまこの箱のなかでやる3つの順番を話し合いました。これは正しいですね。
 次に自分の家、あるいは研究室、バイト先ではどうでしょう。自分の24時間、365日、自分がいる場所において、どの瞬間で何をやるべきか考えてみましょう、ということを言います。
 たとえば、極端な例ですけれども同じ部屋にいたとして、今の時期北海道札幌の親戚の家にいたらどうなるか。絶対にストーブを消してはいけないんですね。というと、学生たちはきょとんとします。ですがこれは、札幌や釧路の人たちにとってはごくごく当たり前のことです。人が触る前に火は消えている。そういうものしか置いてはいけないという決まりになっているんですね。24時間種火が燃えているような強力なファンヒーターのストーブで、100リットルの石油のタンクを部屋の外にしょっているわけです。
  たとえば地震だ、火を消せという、我々のごくごく当たり前の認識です。しかし、生活の風土や様々な道具、道具を扱う決まりは違うわけですから、たとえば起震室のなかでの行動の順番もおそらく違う。

 その話でいくと火を消す、下に潜る、ドアを開ける、自分の家で考えた場合はどの順番ですか?
考えてもらったところ、ある学生が言いました。「ドアを開けたら先に逃げる」。たぶん正解なんですね。彼の家ではそうなんです。なぜ外に出ちゃいけないのか。上から物がばらばらと落ちてくる、瓦屋根が落ちてくる。「でもうちはトタン屋根で畑のなかの一軒家なんです」と。そうしたら何も上から落ちてこない。つぶれるとしたら、一軒家の平屋の家が潰れて下敷きになる。それを防げばいいわけだから、彼にしてみると机の下に潜る、あるいは火を消して潜るより、ドアを開けたらまず逃げることのほうが重要なわけなんですね。
 ですから、自分がいるであろうその場所をいくつか頭の中に描いてみて、そのなかでどの順番でこの3つをやるかを考えてみる。それは人に頼むことではなくて、自分の責任で自分の行動を決めていくということだと思います。主体的な防災活動なんですね。

 そこで、本質的なことを議論します。当日100人が、さまざまな地震を経験したわけです。神奈川県防災センターは東洋一の施設でそのなかで何種類もの地震を起こすことができるようになっています。そこで「私は阪神・淡路大震災を経験しました。こんな揺れとは思ってもみませんでした。本当になにもできませんでした」などと感想を述べます。

 それに対して「実はあなたの経験は、阪神淡路大震災の経験ではないんだよ」ということを言います。怪訝な顔をします。ですが事実、彼あるいは彼女は阪神・淡路大震災を経験していないんですね。
 では何を経験したかというと「阪神淡路大震災という災害を起こした、兵庫県南部地震という揺れの一部だけを体験した」ということです。つまり、大きな被害を出した地震がありました。今回はその地震の一部だけを体験したにすぎない、ということを説明したわけです。

 これはどういうことかというと、今日3人ずつ三十何組がいろいろな地震を経験しました。「阪神淡路大震災を経験した人、手を挙げてください」というと、何組か手が挙がります。では、「今日何人の人が亡くなりましたか」と問いかけます。当然一人も手挙げません。でも、震災というのは地面の揺れによって生命・財産に影響がでて、これを災害、震災と言っています。あの部屋のなかで震災は起きてないわけです。生命・財産は失われていない。せいぜい高揚して、鼓動が大きくなって冷や汗が出るくらいです。

 さらにいうと、再現された揺れというのは、被害が出ていなかった場所に設置されている地震計のデータが採用されているんですね。
 たとえば阪神淡路大震災で非常に揺れが大きかった淡路島の北淡町というところでは、家が跳びました。小さい路地の向こうにどーんと家が跳んでいきました。その家と直撃された家の方が即死しているんですけれども、家が跳ぶ、だから生命・財産が失われたわけですけれども、そういう家には地震計は設置されていないわけです。
 どんな被害があってもそこを防災の拠点にしますよ、と堅牢につくられた役場とか測候所とか、そういうところに置かれた地震計。おそらくその地震計の近くでは人が死んでいない。そこでは被害は出ていないんです。

 そうやってきちんととられたデータを集約して、あの部屋は揺らされています。「起震室の揺れを経験したということだけで、震災経験と早合点してはいけないということを、災害・防災の研究をやっている学生たちの間では共有しましょう」と話し合います。
  「多様な視点」というのは、そのようなことなんですね。

 )) 後半(下)     

編 集
秋山 真理(ねりま減災どっとこむ)

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